私は、本当に卑屈な人間ですよ。
あまのじゃく的というか、人の困ることが好きな一面もあるとでも、いいましょうか。
意地悪。
一言で言えばね。
でも、その意地悪のココロの使い方がなぜ?出てくるのでしょうか??
意地悪というのは、相手が嫌だなと思うことをする。
相手が困ることをわかっててする。
それは、なぜか??
まずは、自分が満足するからですよね。意地悪をして、「ざまーみろ」という言葉を自分で追い求めてるんですよね。
私は、おもいます。意地悪なことをする人ほど、相手の気持ちが分かる人はいないんじゃないかって。
本当は、何をすれば相手が喜ぶのかってのもわかってるんですよね。
さて、
意地悪をする人は、意地悪をすることで、自分という存在を見出そうとしてるんですよね。
本当の自分を探してる。
例えば赤ちゃんを例に出しますね。
赤ちゃんは、母親と共存しているような状態なのかな。だから、自分はお母さんの子供。それが自分だと。
しかし、年子の弟ができたとします。
すると、お兄ちゃんは自分は、お母さんの子という存在が揺らぎます。新しく生まれた弟にみんな心をかけるから、お兄ちゃんに赤ちゃんがえりが起こります。
すでに乳ばなれしたのに、甘えん坊のお兄ちゃんになってしまう。
両親は困ってしまうんですが、大人の目線からすると、困らせないで。と、考えがちですが、
赤ちゃんからすると、お母さんの子供という存在が揺らぎまくってるので、もっと見て欲しい。自分という存在はこれでいいの??ちゃんと教えて。という状態が、赤ちゃんがえりだと、考えられますね。
赤ちゃんから何が、言いたかったのか。
人に対して、意地悪をしてしまう人は、相手にもっと自分を見て。自分を認めて。と、求めている状態なんですよね。赤ちゃんがえりの大人版みたいな。
人は、命あるかぎり、自分の存在理由を常に探し続けると、私は思ってます。
なんで?私は、生まれてきたの??
生まれてきてよかったの??
誰もが、一人一人その理由を追いかけている。
順調に、学校の成績がよかったら、自分を褒められる。
仕事がうまくいき、上手な上司に認められると自分を褒められる。
自分という存在を、自分で認めるには、理由がいるんです。
けれども、
私は、人生をつまづいてしまったから。
私は、家庭が恵まれてなかったから。
私は、頭が良くないから。
私は、カラダが強くないから。
私は、みんなのようにできないから。
そう思っているときは、自分を認めることはできないですよね。
まだ、意地悪をしているうちは、心は安定しているときなのかもしれません。
でも、エスカレートしていくと、
人に意地悪してしまうダメな人なんて、思い始めるかもしれません。
私たちの心は、自分をダメだと、思いつめてしまうようにも出来てるんですよね。
そんなとき、自分からの大切なメッセージだと思うようにしてます。
自分からというより、神様からの幸せになるためのメッセージだと。
それは、
もっと、私を認めてよー。
私だって頑張ってるんだから。
という自分の小さな声。
今までは、
自分は、ダメなやつ。
自分は、不幸な人間。
本当の自分じゃない
と、自分を認めてあげなかった分が、不安になって出てくるんですよね。
だから、私は意地悪な面もあるし、優しい面もあるし、臆病な面もあるし、怖がりな面もあるし、イライラする面もあるんだよ。と、少しづつ認めてあげるようにしています。
ありのままの自分を認めてあげる。
今の自分が好きだよ。って。
例えば、いま生きていることから、褒めてあげてもいいと思ってます。
きょうも、元気に生きれたね。
1日、ありがとう。おつかれさま。自分。
と。
意地悪をしたくなって、困ったときは、自分をもっと認めて。と、心の声だよー。と、いうことに気づけるようになった。
そんな、自分を褒めてあげたいね。
「ココロの公式」
意地悪をしたくなったら、自分を嫌いになりすぎてるから、自分で自分を少し認めてあげる。