陽気な教会

教会が「コミュ障」になっていませんか?

REFLECTIONS & DIALOGUE

教会が「コミュ障」になっていませんか?古い形を手放し、笑顔で生きるためのサバイバル戦略

こんにちは、のびろんです。今回は、身近な友人が営む教会のお話を通じて見えてきた、現代における教会のあり方と「心定め」についてシェアさせていただきます。

全国にたくさんの教会がありますが、実際に教会を運営している友人とざっくばらんに本音で語り合う中で、非常にリアルな現状と、そこから見えてきた大切な気づきについてお話しさせてもらいました。

熱心に大活躍されている教会がある一方で、やはり働きながら運営せざるを得ない現状があります。「今の厳しい状況の中で、教会がまるで『コミュニケーション障害』のようになってしまい、人とつながることを恐れてしまっているのではないか……」そんな友人の言葉が、深く胸に残りました。

1. 変わる社会と、止まってしまった時間

すべての教会がそうだというわけではありません。これはあくまで、身近な友人の教会が直面しているリアルな視点です。

年齢を重ねるごとに経済的な厳しさが増し、家族を養うため、あるいは教会を維持するために新聞配達やアルバイト、あるいは一般企業で働くことが当たり前になっています。「父は高齢ですがマクドナルドで働いています」という話も聞きました。

世間では「宗教の必要性がなくなったからだ」「信仰心が足りないからだ、怠けているからだ」という心ない声が飛ぶこともあります。しかし、それをそのまま鵜呑みにするのはもったいない。時代の構造やライフスタイルは、コロナ禍を経て劇的に変化しました。

世間の大きな企業では週休3日制を取り入れたり、家族と過ごす時間を増やすための制度がどんどん導入されています。それなのに、教会の中だけが「自分たちが大切にしてきたものがあるから」と、昔の時間の流れのまま止まってしまってはいないでしょうか。

2. 地域密着型から「便利屋さん」アプローチへの転換

かつては、月に一度の講社祭やお心寄せ、冠婚葬祭の総出でのお手伝いなど、地域密着型の温かいコミュニティ経済圏が機能していました。しかし、核家族化や共働きが進み、ご近所付き合いが希薄になった現代において、従来の訪問スタイルは物理的にもプライバシーの面からも難しくなっています。

そんな中で、行き詰まった若い会長さんたちが始めているのが、「町の便利屋さん」的なアプローチです。

「庭木の剪定をしてほしい」「重い家具を動かしてほしい」「電球を替えてほしい」「スマートフォンの使い方がわからない」

こうした日常の小さな困りごとに手を差し伸べ、安心してもらうこと。祈りの領域(神事)と、労働の領域(便利屋としての作業)を綺麗に分け、生活費や維持費は労働の対価としてクリアに稼ぐ。その誠実な仕事と信頼関係が、結果として自然な形での「おたすけ」や新しいつながり(にのいがけ)を生み出しているのです。

3. 形やノルマの呪縛から自由になる

先人たちが積み上げてこられた個別訪問や拍子木を叩いて歩く「神名流し」には、深い歴史と敬意があります。しかし、ベテランの先達に聞くと、こうおっしゃいます。「戸別訪問や拍子木が目的だったわけじゃない。時代の中で、人とつながる方法がたまたまそれだったんだよ」と。

結果が出ないときほど、私たちは「やり方」や「形」にガチガチに縛られ、「何件回らなければならない」「数をこなさなければならない」という呪縛に苦しんでしまいます。

本来のひのきしんとは、笑顔でつとめるすべての日常の営みであり、にのいがけとは、自分が陽気に明るく生きている姿そのものです。生きる姿勢そのものがひのきしんであり、にのいがけであると思い出せば、形式に囚われた重荷から軽やかに抜け出すことができます。

4. まず最初に定めるべき「笑顔で生きる」という心

何かに行き詰まったとき、ただ「困った、困った」と嘆くのではなく、それは学び直しの大きな節目のチャンスです。

計画や数字の目標を追いかける前に、もっとシンプルに、こう心を定めてみませんか。

「私は、笑顔で生きていく」

親神様への一番の恩返しは、組織のために無理をしてすり減ることではなく、今日という日を自分が笑顔で陽気に生きることです。その小さな心のスイッチの切り替えが、行動を変え、生き方を変え、そして温かい居場所をつくっていきます。

🎧 音声ラジオ:教会が「コミュ障」になっていませんか?(約30分)

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