ほこり

埃(ほこり)とは何ですか

今回は、昭和28年に発行された『信仰問答 天理教教理要綱』(天理大学宗教文化研究所編 道友社)から「埃」について学ばせてもらいたいと思います。

まずは、天理教でいうところの「埃」とは、心につくものの例えでつかわれているようです。

加えて、良い意味ではなく、掃除をするという点から、心につけておくのはあまりよろしくないという意味合いで考えることができます。

埃とはなんですか。

親神様の思召(おぼしめ)しにもとる心遣いを埃とよびます。

この埃は日々の小さい心遣いです。例えば、表面(うわべ)だけでは笑顔でかげに廻ってぼそぼそと悪口言ったり、又人に物を遣(や)っても遣り過ぎなかったかと御礼を受けるような心出会つたら、埃になります。このように日々知らず知らずの間に起きており、積り重なり易く、それで又、その場で払えばてがるに払い易いものですから埃と言うのであります。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p108-p109

つまり、私たちのイメージしやすい「埃」が心についたと仮定して、それらは簡単に払えるものだけど、「塵も積もれば山となる」と言うように、自分でも知らないうちに埃は積もっていくから、気をつけようね。ということのようです。

そして、埃はとても小さな小さな生活のなかでつくもの。

だからこそ、埃は自分でも気づかないほど小さな心遣いによって心についているんだよ。ということに気づかせてもらえます。

個人的には「自分は大丈夫」という考えよりも「自分も気をつけなきゃね」という心に入れ替えさせてもらえるような教えの一つとして捉えています。

埃の心遣いにはどんなものがありますか。

埃の心遣いを反省する手段(よすが)として、

をしい

ほしい

にくい

かわい

うらみ

はらだち

よく

こうまん

を教えられています。これが八つの埃と呼ばれているものです。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p109-p110

180年以上前に、天理教の教えが説かれはじめます。

ですから、この埃が八つあるんだよ。というキーワードも、時代とともに、日頃はつかわない言葉も、人によってはあるかもしれません。

そこで、漢字に置き換えてみると、イメージも膨らみやすいかもしれませんので、一度書き換えてみたいと思います。

「をしい」→「惜しい」

「ほしい」→「欲しい」

「にくい」→「憎い」

「かわい」→「可愛い」

「うらみ」→「恨み」

「はらだち」→「腹立ち」

「よく」→「欲」

「こうまん」→「高慢」

漢字に置き換えることで、なんとなくこうかな、ああかなというイメージがつくキーワードもあるかと思います。一方で、「惜しい」や「高慢」といった言葉の意味を感じとるには、もう少し深堀する必要があるかもしれません。

「惜しい」は、辞書の意味だけを見ると、残念とか名残惜しいなどの意味として使われることもあれば、文脈によっては尊敬の意味合いが含まれることもあります。

天理教の「埃」という点において「惜しい」は、もったいないという「出し惜しむ」という意味で考えられることが多いようです。

「出し惜しむ」心が実は「埃」なんだなぁと。

あと「高慢」という言葉は、自分の才能・容貌 (ようぼう) などが人よりすぐれていると思い上がって、人を見下すこと。ということが辞書から読み取ることができます。

いまはあまり使われないかもしれませんが「この高慢ちき!」と、バカにしてくるような人に対してつかう言葉もありますように、高慢な態度は、特に人に嫌われるものです。

つまり、埃の心遣いは目に見えませんが、心は態度に表れてきます。そして、その態度が人に嫌われるようなものだったとしたら、それは天理教でいうところの「埃」に通づるものがあるかもしれません。

八つの埃は、人に嫌われる心遣いをわかりやすくお伝えくださいました。

ですから、人に嫌われる心遣いは神様もお嫌いなのかなと。一方で、人に好かれる心遣いは神様も好かれると考えると分かりやすいかもしれません。

埃はこの八つだけですか。

埃の心遣いはこの八つだけではありませんが、数限りない埃の心遣いも、この八つの埃につながってしまいますから、日々に八つの埃を払うよう心掛ければ間違いありません。

又この他、嘘、追従(ついしょう)、遠慮気兼(えんりょきがね)なども、戒められています。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p111

私たちは、ついつい「自分の正義」を持つものです。

しかし、「埃」という教えを通じて、自分の心もあれば、相手の心もあるんだということに意識をもつことができます。

「相手の心は変えられない」

だからこそ、「自分の正義」は自分で持つことは許されていても、人の心をへし折ってまで正義を貫くことは、神様とともに歩む世界ではどうも許されていないように感じます。

いつも、「これでいいのかな? これでどうだろうか?」と、日々、確認しながら生きる道。

それがこの天然自然の道。お道なのかもしれません。

天理教の界隈での造語かもしれませんが、「ひっこみ高慢」という言葉があります。

「自分はやめておきます」「自分はいいです」と遠慮する姿から出てきた言葉かもしれませんが、自身にできる能力があるにも関わらず遠慮する。

つまり、失敗するのを過度に恐れてしまうことも、埃になるんだなぁということに気づかせてもらえます。

埃のつく元の心遣いはなんですか。

埃の附(つ)くのは、貸物借物(かしものかりもの)の理を知らず、親神様の御恩を忘れて自分だけで生き何事も自分の勝手になるように考え、一列は兄弟姉妹(きょうだい)であることを忘れてうっかり我が身試案(わがみしあん)にとらわれるからです。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p112

天理教では特に強く言われる「かしもの・かりもの」の教え。

親なる神様のお働きは、目が見える、耳が聞こえる、口でご飯が食べられるという、普通なら「当たり前」と言われそうなことにも、「ありがたいなぁ」と心から味わうことができる境地。

大病をした人や、当たり前が当たり前でないと気づく現場に居合わせた人は「かしもの・かりもの」の教えは言わずもがな。

しかし、天然自然の理のはなしを耳にし、おやさまの教えを胸に歩む人は、目が見えるだけで奇跡なんだと「今、この瞬間、生かされている」という心を自分自身で養っていく。

今、生きている。それなら、とことん、今自身の命に感謝しながら「楽しむ」道を歩みだしていきます。

それが、少しづつ「人たすける心」へとつながっていく。

日々の小さな心遣いが「埃」と言われていますが、反対に、日々の小さな小さな感謝の積み重ねが「陽気遊山」(陽気ぐらし)の生活になっていくといえます。

埃はどうして払いますか。

埃はいつしか積(つも)るので気附(きづ)きにくいものですが、親神様の思召(おぼしめ)しを思い、その教えを思案して、日々常に払い落とすよう心掛けること、努力することが大事です。

これが心の入れ替えです。埃によつて濁(にご)つた心を元のきれいな澄んだ心に入れ替えるということです。

それで又澄ますとも言います。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p112-p113

埃を払い方は、「自身は埃を積んでしまうもの」と気づくだけでいいのかもしれません。

知らず知らずのうちに埃を積んでしまうと知っているならば、

陽気に生きることで、心が澄んでいくという歩みをすすめていくことができます。

つまり、「笑うこと」。

笑顔に生きることが、心を澄ます道であり、埃を払う方法でもあるということだと考えられるのです。

埃は払うだけでよいのですか。

埃は各人(めいめい)の心を曇らすだけでなく、一人の埃は塁(るい)を他にも及ぼし、多くの人々の心を曇らせ埃をつますことになつて、世の中の平和をも乱すことともなります。

それで、自分にも埃がつかないよう、又人に埃をつけないよう、日々心遣いに注意しなければなりません。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p113

「埃」はとても分かりやすい教えの一つです。

おやさまは、私たちが何度も何度も生まれ変わり、命をはぐくむなかで「魂を出世」させていく道を説かれていきました。

あの世でもなく、いま、この現世の世界で、「心澄ます」生き方、陽気遊山の生き方が

心を澄まし、魂をどんどん上に上げていく。

だからこそ、日々の心の在り方がとても大切なんだと気づかせてもらえます。

いま、イライラ、プンプン、不安にさせたりする世界が蔓延していますが、そういう生き方よりも、笑顔で生きていこうよ。という強いメッセージがこの「埃」の教えから伝わってきます。

埃を払わずに置くとどうなりますか。

埃を払わずにおくと、時が経つに従い、その上に次第に積(つも)り重(かさ)つた埃を埃と思わなくなり、又容易に落ちにくいものとなつてしまいます。

そこで、親神様は身上や事情の上にそれを表してお見せ下さいます。

このことを「いんねん」(因縁)と呼びます。これらは皆天理によつて表れてくるからです。

『信仰問答』天理大学宗教文化研究所編 道友社 p114

「いまがちょうどいいんだ」

天理の道を歩む方からよく聞かれる言葉です。

病気になっても「これでよかったんだ」

困った事情が起こっても「これでよかったんだ」

いまちょうどいいように、神様が見せてくださっている。

だからこそ、天理の道を歩むようぼくは

病気になっても、困った事情が起こっても「ありがたいなぁ」と感謝を積み重ねていきます。

「埃」を積み重ねるよりも「感謝」を積み重ねることが

この天然自然の道のなかで、私たち人間がいきる使命だと知っているからです。

以上が、埃について、簡単ですが学ばせてもらいました。

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