シンプルシンキング
こんにちは。今日は、日本人が大切にしてきた心のあり方について、二つの教えを通して深く掘り下げて考えてみたいと思います。
歎異抄に学ぶ「他力本願」
まずは、「歎異抄」に説かれる「他力本願」という言葉から。
これは、阿弥陀仏という仏様の大きな力に、すべてをゆだねる生き方を意味します。
「自力」で頑張るのではなく、「他力」である阿弥陀仏の力に頼ることで、人生をより穏やかに、そして力強く生きることができる。
これが「他力本願」の基本的な考え方です。
煩悩という名の嵐
私たちは、生きていれば様々な苦しみや悩みに直面します。
それはまるで、心の中に嵐が吹き荒れるよう。
例えば、テストで良い点を取れなかったり、友達とケンカしてしまったり。
あるいは、将来への不安や、自分の存在意義に悩んだり。
これらの心の嵐は、「煩悩」と呼ばれます。
具体的な煩悩の例
- 欲: もっとお金が欲しい、良い服が着たい、美味しいものが食べたい。
- 怒り: 嫌なことをされた、馬鹿にされた、思い通りにならない。
- 妬み: あの人ばかりずるい、なんで私だけ…
- 怠け心: 勉強するのが面倒くさい、何もかも投げ出したい。
これらはすべて、私たち誰もが抱える可能性のある「煩悩」です。
自分の力ではどうにもならないこと
これらの煩悩から完全に自由になることは、なかなか難しいものです。
自分の力でどうにかしようともがけばもがくほど、泥沼にはまっていく。
そんな経験、皆さんにもあるのではないでしょうか?
「他力本願」という灯火
「他力本願」は、そんな時に、私たちを照らしてくれる灯火のようなものです。
「ああ、私は一人じゃないんだ」
「阿弥陀仏が見守ってくれているんだ」
そう思えることで、心がふっと軽くなる。
そして、もう一度立ち上がる勇気が湧いてくる。
天理教の「神様にもたれる」
一方、天理教では、「神様にもたれる」という言葉を大切にします。
天理教の教えでは、神様は、私たち人間を我が子のように温かく見守ってくださっています。
辛い時、苦しい時、神様にそっと心の内を打ち明けてみる。
すると、心がスーッと軽くなる。
そして、また明日から頑張ろうという気持ちが湧いてくる。
共通する心のあり方
「他力本願」と「神様にもたれる」。
言葉は違えど、この二つの教えには共通する心のあり方があります。
それは、「大きな存在に身をゆだねることで、心が安らぎ、生きる力が湧いてくる」ということ。
現代社会を生きる私たちへ
現代社会は、ストレスが多く、孤独を感じやすい時代です。
だからこそ、私たちは、自分を支えてくれる「何か」を求めるのではないでしょうか。
それは、宗教的な存在でなくてもいいかもしれません。
信頼できる友人、家族、尊敬する人…。
そのような存在に、そっと心を預けてみる。
それもまた、「他力本願」や「神様にもたれる」という考え方につながるのではないでしょうか。
まとめ
今日は、「歎異抄」の「他力本願」と天理教の「神様にもたれる」という二つの教えを通して、「大きな存在に身をゆだねることで、心が安らぎ、生きる力が湧いてくる」ということをお話しました。
このお話が、皆さんにとって、少しでも心の支えになれば幸いです。
ご清聴いただきありがとうございました。